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結核ワクチン、ヒューマントライアルの失敗

論文

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Fletcher et al., (2016) T-cell activation is an immune correlate of risk in BCG vaccinated infants. Nature communications 11290.

 

今月、科学雑誌の超有名所Nature系からpublishされたばかりの論文。今回は私の発表。

南アフリカでおこなわれたMVA85Aを皮内接種した結核ワクチンのヒューマントライアルの実験結果をまとめたもの。

日本ではそれほど問題視されていない結核だが、世界においては、HIVの次に死者の多い感染症で、2013年には900万人の患者が発症し150万人が死亡している。

そして、今のところ、世界で結核に有効性が認められているワクチンはBCGしかない。

しかし、このBCGも成人までしか有効ではないため、成人後の結核を予防することはできない。そのため、現代でも大人や高齢の方の結核発症があとを絶たない。

そんな結核の新規ワクチンを試した研究が今回の論文。

南アフリカで5000人規模で2年間にわたっておこなわれたが、ワクチンが効果がないという中途結果で打ち切りになってしまったという暗黒のワクチンAg85A抗原。そのワクチンと打たれた人の免疫反応を時間を追ってひたすら調査している。膨大な量の実験、膨大なマス解析、多変量解析、回帰ロジスティック。読むだけでクラクラしてくる。しかし、こんなにやったとしても不幸なことにクリアな結果は得られなかったのだ。

 

実は私が研究をしているのがこの抗原にとても近くAg85B抗原。AとBの差。怖い・・・。しかも、実際、実験の感触はあまり良くない。怖い・・・。同じ道をたどるのか・・・。

 

今回の論文での最大の失敗はサル実験を先におこなわず、人間でおこなってしまったことだと言われている。実際、この論文で人で効果が見られず、のちにサルで実験したら同じように効果がなかった。

 

幸い、うちの研究所はサルを使うことができるが、サルの種もかなりの種類があるし、どのサルを使うかは予算との兼ね合いもある。

今日の論文を読んで、とにかく背中に冷たいものを感じた。

高校の友達とランチ

日常

私の大好きな女友達と御徒町の「Brasserie La Pleiade」でランチ。
私は二日酔いだったけど、二人に会ったら頭痛もふっとんだよ。

高校のときからすると、2人とも本当に20年もたつのに、ますます綺麗になってる気がした。あなたたちは結婚しても子供がいてもやっぱり昔と何も変わらないのね。
一生懸命に生きていて、そのひたむきな姿をみるだけで私も頑張らなきゃと思える。あと、面白すぎる・・・。

友人の一人は仕事も家事も育児も完璧にこなすスーパーウーマン。だけど、よくコケて大けがをする。土曜も痛い話をいっっっぱいしてくれて、全身鳥肌立ちまくりだったよ!

そして、案の定、会って5分たらずで、スパークリングワインの写真を撮ろうとして取り出したiphoneから手を滑らせて水にドボンと落とすし・・・・。

写真の親友は水に落としたiphoneを必死で拭きふき(笑)

 

高校の時、あなたは指を骨折しているのに、ずっと放置していて、私が
「その指の色、尋常じゃないよ!絶対折れてるって!」って必死に訴えて、あなたはやっと病院にいってくれて、戻ってきたら、
「あはは、ナリの言う通り折れてた~」
って、私たちを絶句させた頃のあなたと何も変わっていないんだから・・・。

頼むよ、まじで・・・

 

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恋の苦しみ

恋愛

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1600年代に活躍したモラリスト文学者であるラ・ロシュフーコーの言葉は言い得て妙だ。

「恋は火と同じように絶えず揺れ動いてこそ保たれる。期待したり、恐れなくなったりしたら、もうおしまいだ(François VI, duc de La Rochefoucauld)」

 

恋をしている最中というのは、

毎日が不安で相手が何を考えているのか、どこにいて何をしているのか、自分をどう思っているのか、気になっては苦しくなる。

 

相手が辛い時にそばにいれない自分は相手を幸せにできないのではないか、相手を幸せにできるのは自分ではなく他の人ではないか、すべてに自信がなくなり、不安な気持ちにさいなまれる、

 

そしてそれらの気持ちは相手に負担をかけたくない、嫌われたくないという恋心特有の臆病さによって、相手に伝えることをためらったり、自分の胸に秘めておいたりする。

 

しかし、付き合っているいるうちに、相手に期待するのをやめるようになり、相手がどこにいようと、連絡がこなかろうと、まあ好きにすればいい、私も好きにするからというお互い空気のような存在になり、不安も期待も消え失せる。それは、「楽な関係」であるかもしれないけど、もう「恋」ではないのだろう。

2人の絶えず揺れ動く不安定な火のような気持が「恋」なのだと、恐れなくなったらおしまいだと言い切るラ・ロシュフーコーの言葉は、人間の「恋心」という不可解な脳の働きをうまく表現している。

 

だから、「なんでわかってくれないのよ!」と怒ったり、「もう、寂しすぎて辛いから嫌だ」と泣いたり、「本当に相手は自分を想っているのか」と不安にならなくなったら、恋としてはおしまいなんだと認識すると、それらの苦しさもまた一興なのだと思えるかもしれない。

写真:François VI, duc de La Rochefoucauld wiki

 

第4回

小説

その日、学会参加者たちの帰宅ラッシュを避けようと、私たち二人は、まだ肌寒い3月末の京都で2時間ほど散歩をした。京都の石畳はハイヒールには決して優しくない。時々、石畳の隙間にヒールが挟まってつまずき、私は恥ずかしくて下を向いて歩いていた。私の前を歩く彼はそんな私などまるで目に入っていない様子で、

「僕は方向音痴だから、今どこに向かっているかわからない、だけど、なんとなくあっちの方向になりかありそうな気がする」

という彼の後ろ姿を見つめながら、あてもなく2時間も歩き回った。結局、彼の言うところの「なにかありそう」という予想は外れていて、そこには同じような住宅地が続いているだけだった。慣れないハイヒールで靴擦れができてとても痛かったけれども、彼の口から語られるドイツでの研究生活やこれから計画している研究についてずっと聞いていたかった。あたりが暗くなってきたため、

「そろそろ帰ろうか」

と彼に促され、先ほどまで学会関係者でごった返していた駅に戻ると、もうほとんど人はいなくなっていた。彼も私も東京に住んでおり、東京へ戻る新幹線も隣の席に座り私たちはビールを飲みながら語り合いゆっくりと帰宅した。そのあと、数か月して、頻繁に研究の相談などをしながら食事をするようになり、どちらかともなく付き合うようになった。

彼は研究論文の執筆においては論理的思考を得意とするタイプの研究者ではあったけれども、普段の生活ではとても寡黙だった。私は彼の口から私に対する恋心や好意の言葉を聞きたかったけれども、彼はそういった感情を表現する言葉をあまり知らない人だった。

佐伯さんに、メールの返信をしなければ、と思いながら、眠気を誘う薬の効果もあって私はそのまま眠りに落ちた。

1階から聞こえるバタバタと廊下を走り回る子供の足音で目が覚める。あたりは少し薄暗くなっており、頭痛は感じない。時計をみると17時すぎになっていた。1時間ほど眠っていたらしい。まだはっきりとしてこない頭で佐伯さんに、実家に無事に到着したことだけを返信し、身なりを整えて1階に降りていく。

リビングのドアに手をかけると、内側から先に引かれ4歳になる姉の息子が、私に向かって満面の笑みで、容赦なく全体重をかけて飛びついてきた。

「アリー、あたま、いたいいたい らいじょうぶー」

私は少し後ろによろめきながら、

「ありがとう、もうよくなったわ。久しぶりね、祐太郎。また大きくなったわね、もう、サリーは祐太郎を抱っこできないなぁ」

というと、祐太郎はさらに笑顔で抱きつきながら私を後ろに押して壁際に追い詰めてくる。姉の息子は本当に大きい。身長が高く、見るからに頑丈そうな体躯をもっているため、まだ4歳なのに小学校2,3年生に間違えられることがよくある。しかし、まだ彼はうまく発音することができない。「サ」の子音を発音することができず、姉が何度練習させても、私を呼ぶときに「サリー」ではなく「アリー」になってしまう。それに、彼が発する言葉や会話は2,3歳の子ども程度であるように感じる。また、祐太郎は1から10までの数字を何度教えても順番に言えない。姉がお風呂で毎日繰り返し、1から10まで順番に数えるように教えても、3の次が7になってしまったり、1の次に6が来たりしてしまう。私は祐太郎の知能を調べてもらったことがあるかを尋ねると、知能指数自体は同じ年齢の子どもより少し上だったと悲しそうに姉が言ったのを覚えている。姉は祐太郎の言語の遅れと数字の系列が覚えられないことをとても気にしており、大きな病院を何件も渡り歩いて検査をしたが、原因がわからなかった。言語だけでもどうにか改善しようと、祐太郎には専属で言語聴覚士を付けてトレーニングさせていたし、姉も教師を休職しているので、毎日、教師特有の熱心さで長男に対して発音練習をさせ、言語を覚えさせようとしていた。

姉がリビングの隣の台所から、

「サリー、頭痛どう。少しは良くなったの」と声をかけてくる。

「うん、もう大丈夫」と言いながら台所に行くと、姉と母が二人で夕食の準備をしている。母はネギを刻みながら、

「今日、私、集会があるから18時には出かけなければならないの。その前に夕食にしましょう、時間がないわ。さゆりも手伝ってちょうだい」

と少し不機嫌そうに言う。姉は母の隣で青菜を炒めながら母と私の会話など耳に入っていないかのようにフライパンの上の青菜を見つめている。

「わかった」

と小さく言い、姉に何をすればいいか指示をもらって夕食の準備を手伝う。母の料理はいつも手が込んでいて時間のかかる料理ばかりだ。今夜のメインは母の得意な様々な春野菜の天ぷらで、その他にも、タケノコの炊き込みご飯、銀たらの煮付、庭で取れた青菜と炒め物、吸い物などが準備されていく。料理を盛る皿の選択と盛り付け方は母しか触ることができない。母はこだわりが強く自分の作った料理を最も美しく美味しく見せるための美学をもっていた。彼女の料理は常に手が込んでおり、調理方法、味付け、盛り付け、すべてが主婦のレベルを超えていた。母はその完璧さを娘である私と姉にその幼少期から求めてきた。  

私の物心がつくようになった5,6歳の頃になると母は食事の仕方、テーブルマナーなどを私にとても厳しく教え、さらに小学校にあがると様々な料理方法、盛り付け方、食器の選び方などを私に教えた。あの時、私はおなかがとても空いているのに、テーブルへの付き方、椅子の座り方、食べる順番、食事中の視線の使い方、顔とお皿の距離などできないところがあると、なんどでもやり直しをさせられ、目の前に並ぶ美味しそうな食事の数々をすぐに食べることができない切なさに何度も泣いた。大人になってから思い出すと空腹くらいでなぜあんなに泣いていたのかと思うが、5歳のわたしはこの世の終わりのような悲しみを感じていた。

料理がすべて済み、母の盛り付けも終わって、母、姉、祐太郎、私の4人で広いダイニングテーブルを囲む。私は、

「母の料理はいつもとても美味しそうね、久しぶりだからとても楽しみ。いただきます」というと。母は無言で両手を胸の前で合わせ、うつむき、唐突に祈りの言葉を唱える。私と姉は、母が作り出すその苦痛に満ちた空間と自分が触れ合わないように、椅子に真っすぐに座り、夢中で祈る母が自分の視界に入らないようにしながら、無言で料理を自分の皿に取り分けていく。

 

第3回

小説

痛むこめかみを軽く押さえながら、病院で処方されている片頭痛の薬を口に入れ、先ほどの新幹線で買ったペットボトルのミネラルウォーターで喉に流し込む。この片頭痛の薬は保険が効いても一粒1000円前後の高い薬だ。しかし、私の頭痛を緩和する効果があるのはこの薬しかない。しかも、頭痛が始まって30分以内に飲まないと効果がない。私は20歳前後からひどい片頭痛に悩まされ、市販の頭痛薬は全く効かなかった。ひどい時は、痛みで嘔吐し続け、トイレから一日中でることができないまま痛みと孤独と絶望感に襲われた。何度も病院を変え、あらゆる検査をおこなった。脳腫瘍さえ疑われ、CTスキャンMRIもおこなった。しかし、原因は分からず、いまだに何かのきっかけで頭痛がおこる。

腕時計に目をやる。頭痛が始まってからまだ10分と経っていない。ふう、とため息をつき、もう一度ベッドに仰向けになって、スマホを見る。

新幹線に乗っていたときに、佐伯さんからもらったメールにまだ返事をしていなかった。頭が痛いせいか、返事を書き始めるが文章がまとまらない。

佐伯さんに出会ったのは、3年前、私が大学院に入学した年の、私にとっては最初の学会の時だ。実際に会ったのはその時が初めてだったが、私は佐伯さんのことをその1年前から知っていた。私が卒業論文のための研究をおこないはじめ、自分が専門にしようとしている研究分野の論文を毎日読んでいた時に、すでに佐伯さんの発表した論文に出会っていた。私が英語の論文を読んで理解することにとても時間がかかり、必死だった卒論生の時、6歳年上の佐伯さんはすでにその研究分野で素晴らしい業績をあげて博士号を取得し、ドイツで研究生活を送っている最中だった。数本に渡って発表されていた佐伯さんの研究論文は、イギリスやドイツなどの国際科学雑誌に発表されていた。私は彼に直接会う前から、彼の研究における着眼点と論理力のすばらしさに、尊敬の念と淡い恋心を抱いていたように思う。

学会参加者が300人も一斉に集まる夜の合同懇親会がおこなわれていた大きな会場で私は彼に出会った。同じ分野で研究をおこなう大学の教授、官民の研究所の研究員、また研究者を目指す大学院生たちが集まって研究発表をする学会では、自分のフルネームと所属機関が書かれたバッジを胸に付け、さまざま研究者たちと交流を深める。私は大学院の一年目で、研究者の知り合いもほとんどおらず、一緒に学会に参加していた所属する研究室の教授とはぐれてしまい、広い会場であてもなく歩き回り、久しぶりに履いたハイヒールで足は痛くなっていた。仕方がないので、会場の端に置かれているバーカウンターでワインを頼み、ビュッフェ形式で置かれている夕食を少し食べようと、テーブルに行くとほとんど何も残っておらず、大皿の蓋を開けては中身が残っていないのを見て元通り蓋を閉めていた。ふと、横を見ると数メートル離れたところに、私と同じように片手に持つ取り分け皿は空っぽで、大皿を開けては占めている男性がいた。彼もふと目を上げて私に気づき、人懐っこそうな笑顔をこちらに向けて、

「もう、何も残ってないですね」

と私に言った。

細身で身長の高いその人は一番上のボタンを一つだけ外したシンプルな白いシャツと上品なグレーのパンツが良く似合っている。理系の研究者はおうおうにして服装に無頓着な人が多いが、この人は自分に似合うものを知っている洗練された人だと思った。

「本当に、何も残っていなくて、先ほどからワインしか飲んでいません。」と私は少しおどけて彼に笑いかけた。彼は私に向き直り、私は彼のネームに目をやった。

東京大学 微生物研究室 研究員 佐伯 涼」。

「さえき りょう」とその漢字を心の中で読んだときに、その人が苦労して読んだあの論文の筆頭執筆者である「Ryo Saeki」と同性同名であることに気づいた。しかし、彼はドイツで研究をしているはずではなかったのか。彼を見ると、彼も私の胸のネームを見ている。

「永井さゆりさん? 今、大学院の一年生なのですね」と微笑みかけている。

私は「はい」と言い、少しの沈黙の後、思い切って、彼に尋ねた。

「もしかして、Royal society誌に論文を発表されているSaekiさんですか」

彼は、少し驚いた顔をしたが、すぐにまたさきほどと同様の知的で穏やかな笑顔を浮かべて、

「そうですよ、もしかして僕の論文を読んでくれたのですか」

と言った。私は、

「はい、本当に佐伯さんのあの論文は素晴らしくて、何度も読みました」

声が上ずっているのが自分でもわかった。それを彼に悟られるのが恥ずかしくて、少し黙ると、彼は私の緊張を解きほぐすように、私の研究テーマを尋ね、初めての学会はどうか、なぜ自分の論文を読んだのか、など様々なことを話しかけてくれた。私たち二人はまるで広い学会会場の壁の花になったみたいに、人があまりいない角の壁にもたれかかり、食べ物の入っていない皿を近くのテーブルに置いて、ワインだけをもってずっと話していた。彼は、ドイツでまだ何年かは研究をするつもりだったが、どうしてもうちの研究室で君に研究してほしいと熱烈に口説かれて、急遽、先週、日本に戻ってきたのだと話をしてくれた。

「まだ、日本語にあんまり慣れてなくて、今日の発表は日本語だったのに、あんまり聞き取れなかったんだ」

と彼は恥ずかしそうに笑っていた。その笑顔を見たとき時、私より年上で、研究者としては私が絶対に手の届かないところにまで上り詰めているこの人のことを、なぜだか、なんてかわいいのだろう、と思った。

そのあと、合同の懇親会の最後まで彼と二人で話し、分野が近い私たちは次の日以降におこなわれる研究発表の会場もほとんど同じだった。私が学会で初めて発表するために演題に登った時、会場で私を見つめる多くの目に緊張してめまいがした。しかし、そのすぐ後に、私はその会場の真ん中の一番後ろで彼が笑顔で私を見つめているのを見つけて、一気に緊張がほぐれていくのを感じた。彼は私の発表のあったプログラムのすぐ後の休憩時間に私に駆け寄ってきて、

「永井さんの研究発表とても良かったよ。研究内容もそうだけど、これが初めての発表なんて誰もきっと思わないくらい、わかりやすく説明していたし、質疑応答もすごく堂々として、答えていてすごかったよ」

と言ってくれた。私は彼の言葉を聞いて、胸が熱くなり、涙が目に溜まってくるのを感じ、慌てて、「次の発表がもう始まっちゃうから、私たちも会場に入らないと」と彼を促した。

彼の研究発表も初めて聴くことができた。それまでは、論文でしか見ることができなった研究内容を彼自身が説明してくれている。私は、その時、言いようのない胸の高揚感を覚えた。

学会が終わり、学会会場の最寄りの駅は全国から集まってきた研究者たちが帰路に着くため、ごった返していた。遠くから、私の名前が呼ばれた気がして、あたりを見回したが、知っている顔はそこにはなく、もう一度前を向いてホームに並んで電車を待っていた。

「永井さん!」次ははっきりとその声が聞こえた。あたりをもう一度見回すと、佐伯さんが10mほど離れた人混みの中で動きが取れないのか、何度かジャンプをして頭を出して私を呼んでいる。私は車輪のついたスーツケースが人に当たらないように注意をしながら彼の方に歩く。彼も人混みをかき分けて私の方に近づいてくる。やっとのことでホームを移動し、

「佐伯さん、どうしましたか」と聞くと、

「永井さんに、僕の名刺を渡すのを忘れていて、どうしても渡したかったのです。研究で何か相談にのれることや、手伝えることがあったら、この名刺のメールアドレスにいつでも連絡ください」

と言って、名刺を渡された。私は名刺をもらったお礼を丁寧にしたあと、声トーンを上げて、

「それはそうと、ものすごい混みようですね」と笑った。彼は少し困った顔で、

「ほんとだね、少し時間を空けた方が楽かもしれないね。永井さんも僕と一緒に少し時間をずらしてゆっくり一緒に帰りますか?」

といたずらっ子のような屈託ない笑顔で私に言った。私は彼に対する憧れが、現実に存在する人への恋心に変化していくのを感じていた。

私の中の別の私

恋愛

私はこれまで経験したことがない形で好意を抱かれていることを感じている。

 

その好意は、私の精神の深淵までを覗いてそれを愛でようとする。

そもそも、私の心や精神を知りたいと思ってくれた人がこれまでどのくらいいたのだろう。

 

私の物体としての肉体や、子どもを産めるという性、それを欲しがるのはまだましな方だ、もっとひどい人は私の外面を覆っている、学歴、年収、教養レベル、親の職業、背が高く見栄えの良い女性と連れているという優越感を抱きたいだけで私を奪おうとする人・・・。

 

今よりまだずっと若い頃、それでもいいと私は思っていた。

無視され、だれからも必要とされないよりは、外面を含めた私を構成する何か一つでも欲しいと思われる方がましだった。

 

それほどまでに私は愛に飢えていた。愛されないのなら今すぐ殺して欲しいと泣き叫んで懇願するほど、愛が何かもわからずにただ欲しがっていた。

年齢と肉体は成熟したにも関わらず、そんな未成熟な精神を内包した私はその苦しみから逃れるために心にカギをかけることにした。

 

だけど、今は心の奥底にしまい込んで厳重にカギをかけてきた私に起きたすべての事柄を、私はすこしずつ取り出し、理解してあげることができるかもしれないと思っている。

 

取り出す度に、血が噴き出すかもしれないし、再び苦しむかもしれないけど、私の深淵を理解しようとしてくれる思慮深く穏やかな愛で私を包みこもうとするその人が、

「あなたは戦えるよ」

とその慈愛に満ちた表情で嘘偽りのない目で真っすぐに私に言ってくれる。私はその人を信じている。その人の力を信じている。この暗く狭く閉じ込められた場所から救い出してくれると信じている。

 

その人はその素晴らしい感性と表現力で私を描く。彼の描く私は、私がそうなりたかった別の私だ。その人の目に映る、キラキラと輝くように彼の中で躍動する彼女そのものが、この私だったらどんなにいいか。でも、その人の描く私も私の一つの側面であるとその人が教えてくれた。

 

だから、私を描いた彼の作品を読む度に私は私の一部を発見していく、そのことが嬉しくて毎回私は心が震える。

私はこんなふうに誰からも愛されたことがなかった。

その人は、私が生きなおすために、私に与えられた最後のチャンスのように思える。だから、私にはその人が絶対に必要だ。これからも。

 

第2回

小説

掃除の行き届いた玄関には母の育てた花が生けられている。淡いピンクのチューリップと、白い星型をした可憐な花を組み合わせている。母は、華美な花を咲かせるバラや、鮮やかな原色や深紅の花を好まず、淡い色の可憐な印象の花を好む。この生け花もそうだ。

 私がまだこの家に住んでいた頃、何度か母と花の苗や球根を買いにいった。買い物の度に、母は私に、

「今日はどのお花を買おうかしらね、さゆりは、どの花がいいと思う?」

と聞くが、

「私はこの花が好き」

と指をさしても、

「え?この花?そうなの」

と母は少し不機嫌になり、私の選んだ花が購入されることはなかった。私は母の好みとは違い、華やかではっきりとした色や形をした花が好きだった。この母の好みとのずれを認識しはじめた中学生の頃になると、相変わらず、どの花がいいと思う?と尋ねる母に、その場で母好みの一番に彼女が欲しがっている花をうまく言い当てることができるようになった。そんなとき、母は、

「お母さんも、この花いいなと思っていたのよ、さゆりも良い趣味しているわよね」

と喜び勇んでレジに向かっていった。その後ろ姿を見ながら、私が本当に綺麗だと思う花を、この母は“趣味が悪い”と思っている、母と私は違う人間だから仕方がない、では、そもそもなぜ好みが違うとわかっている私に何度もどの花が好きなのかきくのか、と苛立ちを感じたこともあった。今はもうそんな感情さえ起らない。母と一緒に花を買いに行くこともないのだから。

 玄関を抜けてリビングに行く前にトイレに入った。トイレの棚には母の作成したブーケ型のドライフラワーが飾られており、壁には何枚ものポストカードが張られている。便座に座った際に、それらのポストカードに書かれている文字がちょうど目に入るように飾られている。私はそれらを読む前にそこには何が書かれているかを知っている。私は便座に座っているにも関わらずめまいを感じ、右のこめかみのあたりに拍動性の鈍痛を感じる。自分が今、息を吐いているのか吸っているのか分からなくなる。私は目を閉じて、もう、私は大人になったのだ、何もできなかった子供ではないのだ。と自分に言い聞かせ、ゆっくりと息を吐いて、目を開け、右の壁に貼り付けられたカードを見る。ポストカードの半分には青々とした草原が描かれており、そこにはライオン、ヤギ、ウサギ、そしてその草原で走り回る子供たちと花を摘む女性、仲睦まじく過ごす数家族が写実的な技法で描かれている。描かれている動物たち、人間たちは「私たちは至上の幸福の中にいます」と言わんばかり満面の笑みを浮かべている。その絵を見て、私はまた右のこめかみに痛みが走る。もう一度、深呼吸をして、その絵の隣に書かれている文章を読む。

「義を知る者たち,心にわたしの律法を保つ民よ,わたしに聴け。死すべき人間のそしりを恐れてはならない。彼らの単なるののしりの言葉のために恐怖に襲われてはならない。蛾が彼らを衣のように食い尽くし,衣蛾が彼らを羊毛のように食い尽くすからである。しかしわたしの義は,定めのない時に至るまで存続し,わたしの救いは数えきれない代々に至る(イザヤ 51:6-8)」

 

他のポストカードには、新世界訳聖書のマタイ、創世記、啓示、などの名句が記載されていた。私は、それらの文章に一通り目を通し、ゆっくりとトイレから出た。先ほどから断続的に続いているこめかみの痛みが、後頭部まで広がってきたように感じる。トイレから出て、右手で両方のこめかみと後頭部を軽く揉むように触り、首を回した。玄関のドアが開かれる音がして、母が庭から戻ってくる。

「どうしたの?」

と聞かれ、私は、

「ちょっと疲れて片頭痛になったみたい」と答えた。その言葉を聞いた母の顔は急激に曇り、2段階ほど低くなって声で、

「じゃあ、夕食前に少し2階で横になっていたら」と突き放すように言った。私は、

「そうね、悪いけどそうさせてもらうね」と言って、2階につながる階段を下から眺める。階段の踏み板の半分には、本、ビン、箱などが積み上げられて置かれている。3年前に来たときよりも、その量は多くなっているように感じる。私は自分の少し大きめのショルダーバックがそれらに当たって落としてしまわないように注意を払いながらゆっくりと2階まで登った。

私が中学生のときには、姉もまだこの家に住んでおり、急いでこの狭い階段を駆け下りようとしては、最後の2,3段を踏み外して階段の下でうずくまって呻いていたことを思い出す。私はこの家に5年間住んでいたが、その間一度も階段を踏み外すことはなかった。

姉は幼い頃から運動が苦手で、成長してからも何もない所でよく転んでいた。姉は小学校の教員になるのが昔からの夢で大学の教育学部に何の迷いもなく進学し、卒業と同時に教員採用試験を受けた。小学校教諭は国語、算数、理科、の他にも体育、音楽なども教えなければならないため、採用試験の科目には学科の他に体育の試験やピアノの実技試験などもあった。姉も私も4歳からピアノを習っていたため、音楽の試験は何の問題もなかったが、鉄棒の逆上がり、水泳、跳び箱が課せられる体育の試験で姉は苦戦を強いられていた。水泳は、小さな時からスイミングスクールに行っていたため姉は泳ぐことができたが、跳び箱と逆上がりがどうしてもできなかった。採用試験の数か月前から姉は夜な夜な公園で逆上がりの練習と馬跳びの練習をしていた。私と母も何度もその練習に付き合ったことがある。私は体育が全般的に得意な子どもで、その動きを一度見れば真似をすることができ、できないことはほとんどなかった。だから、夜の公園で必死に練習をする姉に、すんなりと鉄棒で逆上がりを見せることはできても、どのタイミングでどこに力を入れば逆上がりができるのかと聞いてくる姉に、小学生の私は何一つ説明することができなかった。結局、姉は最後まで鉄棒の逆上がりができず、小学校教諭の試験には合格することができなかった。しかし、同時に試験を受けていた高校教諭の試験には合格することができた。

2階にある高校卒業まで使っていた私の部屋の扉を開ける。ベッドと勉強机しかないその部屋はほぼ当時のまま残されており、埃ひとつなく清掃され、ベッドはまるでホテルのように皺ひとつなくベッドメイクされていた。私は、そのベッドに横になり、持ってきたカバンからスマホと薬を取り出した。