恋の苦しみ

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1600年代に活躍したモラリスト文学者であるラ・ロシュフーコーの言葉は言い得て妙だ。

「恋は火と同じように絶えず揺れ動いてこそ保たれる。期待したり、恐れなくなったりしたら、もうおしまいだ(François VI, duc de La Rochefoucauld)」

 

恋をしている最中というのは、

毎日が不安で相手が何を考えているのか、どこにいて何をしているのか、自分をどう思っているのか、気になっては苦しくなる。

 

相手が辛い時にそばにいれない自分は相手を幸せにできないのではないか、相手を幸せにできるのは自分ではなく他の人ではないか、すべてに自信がなくなり、不安な気持ちにさいなまれる、

 

そしてそれらの気持ちは相手に負担をかけたくない、嫌われたくないという恋心特有の臆病さによって、相手に伝えることをためらったり、自分の胸に秘めておいたりする。

 

しかし、付き合っているいるうちに、相手に期待するのをやめるようになり、相手がどこにいようと、連絡がこなかろうと、まあ好きにすればいい、私も好きにするからというお互い空気のような存在になり、不安も期待も消え失せる。それは、「楽な関係」であるかもしれないけど、もう「恋」ではないのだろう。

2人の絶えず揺れ動く不安定な火のような気持が「恋」なのだと、恐れなくなったらおしまいだと言い切るラ・ロシュフーコーの言葉は、人間の「恋心」という不可解な脳の働きをうまく表現している。

 

だから、「なんでわかってくれないのよ!」と怒ったり、「もう、寂しすぎて辛いから嫌だ」と泣いたり、「本当に相手は自分を想っているのか」と不安にならなくなったら、恋としてはおしまいなんだと認識すると、それらの苦しさもまた一興なのだと思えるかもしれない。

写真:François VI, duc de La Rochefoucauld wiki