第6回

「アリー、一緒にお風呂あいろー(入ろう)」

と一階から祐太郎が私を呼ぶ声がする。階段を降りていくと、祐太郎はもう全身の服を脱いでおり、待ちきれないとばかりにその場で足踏みをしながら私を階下から見つめている。

「はやく、はやく」

と促されて、手を引かれ風呂場へ続く廊下を2人でバタバタと走る。廊下の途中にあるリビングのドアは開いており、そこから姉が少しだけ顔を出して、

「サリー、悪いけど先に祐太郎とお風呂入っていて、私もすぐ行くから」

と言った。私も素早く服を脱いで祐太郎と大人が二人は入っても十分に足を伸ばせる体積があるバスタブに漬かった。ゆっくりと足を伸ばしてバスルームを見渡す。久しぶりに入ったバスルームは私が以前住んでいた頃と変わらず、どこを見渡しても水垢やカビ一つなく、白の陶器でできた床に、真っ白なバスタブが置かれており、その空間はほんの少し塩素系漂白剤の匂いがした。

祐太郎は、水面にお風呂用のアヒルのおもちゃを浮かべて、小さなじょうろでアヒルに湯おの雨を降らせて遊んでいる。祐太郎は子ども特有の毛穴や肌のきめがまるでなく陶器のような白い肌に、栗色でウェーブが強い髪の毛は濡れて、丸く形の良いおでこに張り付いている。

 

「私も入るね」

と言って姉もバスタブに入ってきた。姉が入ってきたことによって湯が溢れる。

「気持ちいい」

と姉はリラックスした表情で、静かに言ってしばらくの間、目を閉じていたが、数十秒後にはふと何かを思い出したかのように目を開き、祐太郎に向かって、

「祐太郎、今日も一緒に数字数えようね」

と言った。祐太郎の表情がその姉の言葉を聞いた瞬間、見る見るうちに暗い影を落としていくように見えた。姉は祐太郎の返事を待たずに、

「1の次はなんだっけ?順番に言ってみようね。そうだ、今日はサリーがいるからサリーに1から10までの数字を教えてあげたら」

その言葉を聞いてやっと祐太郎は少し緊張が解けたように

「うん、わかった」

と言って、その小さな手を湯から出して、指折り数字を数えようと準備をしている。

「1、2、、、、、、うーーん、5?」

私はその一生懸命に指で数字を数える仕草が愛らしくて、微笑みながら、

「2のつぎは3だよ」

と言った。姉は表情一つ変えずに、もう一度1から数えるように祐太郎に言って聞かせている。

「1,2、、、、、、、、、、、、うーん、9、、、3」

姉の表情がこわばっていくのが視界の端でみえ、姉の顔を見る祐太郎の目に怯えるような緊張がうつり、その雰囲気の中で私だけが微笑ましく見ていることに少し負い目を感じ、少し真面目な顔を作り直して、

「祐太郎、1,2,3だよ、そこまで一緒に私と一緒に言ってみようか」

祐太郎のつぶらな小さな瞳に目線を合わせその小さな顔に向かい合うようにバスタブの中での位置を変えて一緒に復唱する

「イーチ、ニー、、、、、、サーン」

「イーチ、ニー、、、、、、キュー?」

その瞬間、先ほどまでバスタブの端に置かれていた姉の細く白く美しい手がまるで白い蛇のように素早く動き、祐太郎の頭を上から鷲掴みにして、祐太郎の顔を湯の中に乱暴に沈めるのが見えた。私には何が起きたのか分からず、姉を振り返った。姉の顔は血の気が引き、その表情はまるで無表情に見え、何を考えているのか私にはわからなかった。私は我に返り、祐太郎の頭を掴んでいる姉の手を掴んで、その頭部を水中に沈めている手を引き離そうとしたが、姉の細い腕からは想像もできないような強い力で頭を掴んでおり、私は両手で姉の手首をつかんでひねるようにして横にずらし、祐太郎の顔を湯から引き上げる。急に水に沈められた祐太郎は湯を飲んでしまったのか、激しく咳き込み、何度もえずいている。急いで彼を抱きあげて、バスタブから引き上げ、抱きしめると咳き込みながらも全身が恐怖で震えているのがわかった。背中をさすって咳を鎮めさせながら、

「大丈夫だよ」

と声をかけたが、祐太郎はその小さな肩が小刻みに震えているだけで何も言わず、私の顔も姉の顔見ようとしない。姉の方を見ると、姉は相変わらず、まるで私と祐太郎が同じ空間にいないかのような冷たく焦点の合わない目で先ほどまで祐太郎がいた湯の場所を見ている。

「ちょっと、お姉ちゃん、なんで、、、、」

私は起きた状況がほとんど理解できず、努めて冷静に姉に問いかけようと思った言葉が上ずった声で発されているのがわかる。動揺を隠せない私を一瞥しても姉は表情一つ変えずに静かに、

「ごめん、私、先に上がるわ、悪いけど祐太郎の髪の毛とか洗ってあげてきてくれるかしら」と言って先にバスルームを出て行った。