無知がもたらす奔放さに対する狭量

私はこの時代の価値観からすると「奔放な人」に分類されるかもしれない。

 

私はこれまで、付き合っている人がいても、結婚をしていても、なんら悪びれることもなく自由に恋をしてきた。しかも、恋をしていることを相手に悟られても平気だったし、むしろ自分から報告することもあった。

 

相手は寛容で私をいつも自由でいさせてくれた。

彼らは、「君という人は困った人だ」と言いながらも、私を自由にする。

 

私の恋心は一瞬のきらめきであるから。

私の恋は、絶え間なく薪をくべなければすぐに消えてしまう小さなたき火と一緒だから。

 

恋をすることに慣れている私は、その火をコントロールする術を身に着けている。

恋をしても自分から薪をくべたりはしない。そして、その淡い恋心は時間と共にその色はあせていき、実らない恋特有の甘い痛みを私の心に残していく。

 

私はその甘い痛みに強い快楽を感じる

 

だけど、あなたは私に対する無知ゆえに私の恋をとても恐れている。

 

あなたはいつも物静かで、上品な佇まいで私のそばにそっと立っているのに。

あなたのその深い知性と思考力を表現するための声はとても落ち着いているのに。

 

それなのに、その心にはあなた自身でさえ飼いならさすことができない激情が確かに存在している

 

あなたの激情は私の恋に寛容になることができない。

そして、これまでにないその方法で私を揺さぶる。

私はとまどう。

どうしてダメなの。なぜわかってくれないの。

 

だけど、これはこれでいい。これまでの私は常に振りまわす側で、振り回される側に回ったことがなかったから。

このもどかしさと、あなたを失いそうな苦しみと、私を自由にさせまいとするあなたの強い独占欲も私にとっては甘美な快感に変わる

だから、いったでしょう。私たちは何があっても離れることができないし、苦しみさえ甘い快感に変えることができるんだって。